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自分自身のログとして
燃えるアーチェーリー時代 国体出場 −4−
大学入学後すぐに入部したアーチェーリー部。アーチェリーが次の年の栃木国体(1980)から国体の競技に正式採用されることを知り、国体出場が最初の目標になった。結局その後6回出場することになるが、全国を回り友人・知人も飛躍的に多くなり、試合で全国どこへ行っても知り合いがいるようになり、ますます深みに、、、、、。  
1980 第35回 栃木 ・ 1982 第37回 島根 ・ 1983 第38回 群馬 ・ 1984 第39回 奈良 ・ 1986 第41回 山梨 ・ 1988 第43回 京都 ・ 1989 第44回 北海道(成年男子監督) ・ 1990 福岡(役員) ・ 1991 石川(副審判長) 
1984年 第39回 奈良 「わかくさ国体」  
 4回目の国体 。栃木→山梨→奈良と、どういうわけか「海のない県」で開催の国体に縁があると気づいたのがこの頃。この大会では50m+30m=636点とまあまあの得点。順位は141人中18位。
 
 10月12日: 総合開会式

電車で開会式会場に向かうという珍しい移動方法

監督は泉川さん
 
   
開会式場は修学旅行でも行ったことがある奈良ドリームランドのすぐ近く。

電車を降りて延々と歩いた運動公園陸上競技場。めっちゃ遠かった印象しか残っていない。
 
食事は近くの公民館で

宿舎の藤田さん一家と
 10月13日 弓具検査
 
 
 10月15日: 競技当日

いざ出動!

競技開始前


個人:50m 300点 + 30m 338点 =638点 18位
団体: 638点 + 621点 + 578点 =1837点 21位

新潟女子・富山成年男子チームと 

最終矢取り後同的の選手と補助員
 閉会式・表彰式
このほか、全日本社会人選手権・ヤマハカップ・北信越選手権・湖南カップ・長野県月例大会、インドア大会、、、、
学生〜社会人の10年間あちこち飛び回ってしんどかったけど、楽しかった。
 
1991年の石川国体を期に競技生活から離れて「普通の生活」に。
       
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