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私自身のログとして。しかし、、、、、写真が古いな〜、どれも。
燃えるアーチェーリー時代 国体出場 −2−
大学入学後すぐに入部したアーチェーリー部。アーチェリーが次の年の栃木国体から国体の競技に採用されることを知り、国体出場が最初の目標になった。結局その後6回出場することになるが、全国を回り友人・知人も飛躍的に多くなり、試合で全国どこへ行っても知り合いがいるようになり、ますます深みに、、、、、。     
1980 第35回 栃木 ・ 1982 第37回 島根 ・ 1983 第38回 群馬 ・ 1984 第39回 奈良 ・ 1986 第41回 山梨 ・ 1988 第43回 京都 ・ 1989 第44回 北海道は成年男子監督
 
1980年 第35回 栃木 「栃の葉国体」 
初めての国体。この栃木国体からアーチェリーが国体の正式種目となったため、石川県から出場の誰もが初めての国体
大学2年のこの年、国体石川県予選でどういうわけか予選突破。中村さんは大学時代から全国大会出場の経験があったものの、俺は初めての全国の舞台で右も左もわからず、、、、
 
 
第35回 栃の葉国体のシンボルマーク
← 栃木までの移動はJR。金沢駅から出発 
 総合開会式
 
 競技開会式
 
試合当日

50m: 45・42・51・47・47・50 = 282点
30m: 58・53・53・55・51・55 = 325点
Total 607点
 速報スコアボード→ 
当時はPCを使った集計・速報がなく、手書きだった
その他
 
宿舎まえで高知県・岩手県チームと
← 1977年世界選手権準優勝の亀井孝さんと。当時は憧れの選手だった
このほか、全日本社会人選手権・ヤマハカップ・北信越選手権・湖南カップ・長野県月例大会、インドア大会、、、、
学生〜社会人の10年間あちこち飛び回ってしんどかったけど、楽しかった。
 
1991年の石川国体を期に競技生活から離れて「普通の生活」に。
       
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